新説 敵は本能寺にあり
歴史で習った本能寺の変・・・・・・・
天正10年6月2日(ユリウス暦では1582年6月21日、現在のグレゴリオ暦に換算すると1582年7月1日、織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、京都・本能寺に宿泊していた主君信長を襲い、自刃させたクーデター事件。
暗殺事件との解釈もなされる。
ドラマ映画芝居の恰好の見せ場であり歴史上最大のミステリーである。
「敵は本能寺にあり」と反旗を翻した明智光秀の雄叫びと共にこの史上最大のクーデターは始まったわけだが・・・・・
映画ドラマだと初めは信長自ら槍を手に奮闘する。
しかし圧倒的多数の明智軍には敵わず、居間に戻った信長は自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で「人間~五十年~」と舞い自害するのだが・・・・・
どうも映画やドラマでキャスティングされる信長って男臭いいい男の俳優が選ばれるけど、俺はもっと信長って女っぽい人だと思っている。
少年時代は女と見間違えられる程の美少年であったと聞くし、成人後も体毛、髭も薄く甲高い声で洒落者でファッションにこだわっていたらしいし、その所業はヒステリックで残忍だ。
実は線の細い女っぽい人だったのだ多分・・・・・
だから線の太い男臭い俳優ではミスキャストである。
織田信長、宮本武蔵、坂本龍馬・・・・・歴史のヒーローは視聴率のためどんどん美化されて行くのは仕方ないけどね。
そして本能寺の変・・・・・全てはそのヒステリックな行いのつけが回ってきた。
しかし本能寺の変の後信長の遺体は史実では発見されていない・・・・・・
光秀は血眼になって遺体を捜したそうだが遂に発見出来ず終いで終わった。
いつもここで俺は妙な違和感を感じて来ていた。
当時の本能寺は木造建築であったはずだ。
そんな木材の火力で人一人人間を跡形も無く焼き切れるだろうか?
骨の一片さえ無い。
あれだけ集中的に焼く火葬場でさえ骨は残るのに・・・・・
「当時の本能寺は織田勢の補給基地的に使われていたため、火薬が備蓄されており、信長の遺体が爆散してしまったためと考えられる。」とは言われている。
一体当時の火縄銃用の黒色火薬にそれ程の威力があるだろうか?
当時信長は中国遠征に光秀秀吉を戦地に出しており火薬類はほぼ前線に送って回しているいるはずだ。
中国遠征の出兵準備のために上洛し、その後は京の本能寺に逗留していた。
後続の上洛先の京都でそんなに火薬は必要ではない。
本能寺後の合戦に火薬を集めて作った爆弾は出現していない・・・・・
もしここ本能寺で大爆発があってその凄まじい破壊力を目にしていたのならその後すぐに火薬を集めた爆弾的な武器が即座に開発され出現しているはずである。
随分歴史的に後に口径の広い太筒火縄銃がこけおどし用に開発されているに過ぎない。
つまり誰も大爆発した本能寺を見ていない・・・・・
「爆発」「爆破」の現象を本能寺後も誰も知らなかったのだ。
本能寺は普通の木造建築火災の規模だったのだ。
信長の遺体が完全消失される火力は得られていないのだ。
それでも変の後信長の遺体は骨の一片も発見されていない・・・・・・
これはすなわち信長は本能寺では死んでいないのだ多分・・・・・
密かに脱出し別の場所で自害したという別説がある。
また信長を慕う僧侶と配下によって人知れず埋葬されたという説もある。
どうもこちらの説の方が正しいような気がするのだ。
配下の者が四散し一人身になった信長は秀吉軍の元へは行けなかったのではなかろうか?
信長が恐れていたのは実は秀吉・・・・・・
いかりや長介がかつての弟子の付き人志村けんにおびやかされたように、既に当時は秀吉の勢力は信長とほぼ同等の力があったのではなかろうか?
秀吉に遠方難攻不落の毛利中国遠征を科したのは徳川家が諸藩に科した参勤交代のような物では?
秀吉の勢いを削ぐためでもあった。
前線からの援軍の要請さえゆったり本能寺に留まって足の遅い光秀軍に任せている。
実際秀吉軍の負担は大きかったし信長が没したと聞くとやってられねぇ~よとサッサと和睦を迫り京へ戻っている。
信長、秀吉の勢力図は信長が光秀によって壊滅的な打撃を受けその勢力バランスは完全に崩れた。
包囲された本能寺から命からがら脱出出来た信長は結局は自害するしかなかったのだ。
ここで信長は歴史から消える。
「敵は配下にあり」
あれだけ外敵に強かった信長は結局身内によって滅ぼされたのだ。
と・・・ここまでは以前考えていた事だ。
今晩風呂に入っていてふと思った・・・・・・
そして新しい自分の発見に愕然としてザバァ~!と立ち上がってしまったのだ。
本能寺の焼け跡で光秀は信長の遺体を回収していたのではないだろうか実は・・・・・・
確保しながらも明け方まで焼け跡で探す振りをし続けたのは身内を騙すためのパフォーマンス・・・・・
自分の軍勢に紛れてあろう秀吉の内通者の目を欺くためではなかろうか?
信長討った後最大のライバルになるのは秀吉・・・・・・
毛利攻略の中国地方から折り返して戻ってくる秀吉と衝突するするのは目に見えている。
その際にまだ信長が生きている可能性を示したら秀吉の戦力は分散する。
信長が死んだと確定していたら後釜を狙い天下取りを目指す秀吉のパワーは解き放たれ凄まじいものになろう・・・・・
信長が生きているって事は秀吉にとって大きな足枷で障害なのだ。
当時の信長の生死の影響は大きく秀吉自身遠征先の毛利に信長死去を隠し生きていると見せかけ籠城を解き性急な和睦に成功させている。
信長が生きている限り秀吉の勢力はリミテッドなのだ。
賢く戦略家の光秀はそう計算して信長の遺体回収の事実を封印したのではないだろうか?
その事実を隠したまま光秀は山崎の戦で討ち死にする・・・・・
だからその信長の遺体回収の事実は闇に消え歴史上無かった事にされているのだ。
本能寺の変・・・その事実は後世に伝わった事柄とは違うのだ。
まだ誰もが唱えていない新説である。
信長の亡骸は光秀により回収され闇から闇に葬られた・・・
証拠隠滅で人知れず粉々に粉砕され廃棄されたのかも知れない。
生存説なんて無い・・・・・
信長の野望は本能寺にて潰えたのである確実に・・・・・・
天正10年6月2日(ユリウス暦では1582年6月21日、現在のグレゴリオ暦に換算すると1582年7月1日、織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、京都・本能寺に宿泊していた主君信長を襲い、自刃させたクーデター事件。
暗殺事件との解釈もなされる。
ドラマ映画芝居の恰好の見せ場であり歴史上最大のミステリーである。
「敵は本能寺にあり」と反旗を翻した明智光秀の雄叫びと共にこの史上最大のクーデターは始まったわけだが・・・・・
映画ドラマだと初めは信長自ら槍を手に奮闘する。
しかし圧倒的多数の明智軍には敵わず、居間に戻った信長は自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で「人間~五十年~」と舞い自害するのだが・・・・・
どうも映画やドラマでキャスティングされる信長って男臭いいい男の俳優が選ばれるけど、俺はもっと信長って女っぽい人だと思っている。
少年時代は女と見間違えられる程の美少年であったと聞くし、成人後も体毛、髭も薄く甲高い声で洒落者でファッションにこだわっていたらしいし、その所業はヒステリックで残忍だ。
実は線の細い女っぽい人だったのだ多分・・・・・
だから線の太い男臭い俳優ではミスキャストである。
織田信長、宮本武蔵、坂本龍馬・・・・・歴史のヒーローは視聴率のためどんどん美化されて行くのは仕方ないけどね。
そして本能寺の変・・・・・全てはそのヒステリックな行いのつけが回ってきた。
しかし本能寺の変の後信長の遺体は史実では発見されていない・・・・・・
光秀は血眼になって遺体を捜したそうだが遂に発見出来ず終いで終わった。
いつもここで俺は妙な違和感を感じて来ていた。
当時の本能寺は木造建築であったはずだ。
そんな木材の火力で人一人人間を跡形も無く焼き切れるだろうか?
骨の一片さえ無い。
あれだけ集中的に焼く火葬場でさえ骨は残るのに・・・・・
「当時の本能寺は織田勢の補給基地的に使われていたため、火薬が備蓄されており、信長の遺体が爆散してしまったためと考えられる。」とは言われている。
一体当時の火縄銃用の黒色火薬にそれ程の威力があるだろうか?
当時信長は中国遠征に光秀秀吉を戦地に出しており火薬類はほぼ前線に送って回しているいるはずだ。
中国遠征の出兵準備のために上洛し、その後は京の本能寺に逗留していた。
後続の上洛先の京都でそんなに火薬は必要ではない。
本能寺後の合戦に火薬を集めて作った爆弾は出現していない・・・・・
もしここ本能寺で大爆発があってその凄まじい破壊力を目にしていたのならその後すぐに火薬を集めた爆弾的な武器が即座に開発され出現しているはずである。
随分歴史的に後に口径の広い太筒火縄銃がこけおどし用に開発されているに過ぎない。
つまり誰も大爆発した本能寺を見ていない・・・・・
「爆発」「爆破」の現象を本能寺後も誰も知らなかったのだ。
本能寺は普通の木造建築火災の規模だったのだ。
信長の遺体が完全消失される火力は得られていないのだ。
それでも変の後信長の遺体は骨の一片も発見されていない・・・・・・
これはすなわち信長は本能寺では死んでいないのだ多分・・・・・
密かに脱出し別の場所で自害したという別説がある。
また信長を慕う僧侶と配下によって人知れず埋葬されたという説もある。
どうもこちらの説の方が正しいような気がするのだ。
配下の者が四散し一人身になった信長は秀吉軍の元へは行けなかったのではなかろうか?
信長が恐れていたのは実は秀吉・・・・・・
いかりや長介がかつての弟子の付き人志村けんにおびやかされたように、既に当時は秀吉の勢力は信長とほぼ同等の力があったのではなかろうか?
秀吉に遠方難攻不落の毛利中国遠征を科したのは徳川家が諸藩に科した参勤交代のような物では?
秀吉の勢いを削ぐためでもあった。
前線からの援軍の要請さえゆったり本能寺に留まって足の遅い光秀軍に任せている。
実際秀吉軍の負担は大きかったし信長が没したと聞くとやってられねぇ~よとサッサと和睦を迫り京へ戻っている。
信長、秀吉の勢力図は信長が光秀によって壊滅的な打撃を受けその勢力バランスは完全に崩れた。
包囲された本能寺から命からがら脱出出来た信長は結局は自害するしかなかったのだ。
ここで信長は歴史から消える。
「敵は配下にあり」
あれだけ外敵に強かった信長は結局身内によって滅ぼされたのだ。
と・・・ここまでは以前考えていた事だ。
今晩風呂に入っていてふと思った・・・・・・
そして新しい自分の発見に愕然としてザバァ~!と立ち上がってしまったのだ。
本能寺の焼け跡で光秀は信長の遺体を回収していたのではないだろうか実は・・・・・・
確保しながらも明け方まで焼け跡で探す振りをし続けたのは身内を騙すためのパフォーマンス・・・・・
自分の軍勢に紛れてあろう秀吉の内通者の目を欺くためではなかろうか?
信長討った後最大のライバルになるのは秀吉・・・・・・
毛利攻略の中国地方から折り返して戻ってくる秀吉と衝突するするのは目に見えている。
その際にまだ信長が生きている可能性を示したら秀吉の戦力は分散する。
信長が死んだと確定していたら後釜を狙い天下取りを目指す秀吉のパワーは解き放たれ凄まじいものになろう・・・・・
信長が生きているって事は秀吉にとって大きな足枷で障害なのだ。
当時の信長の生死の影響は大きく秀吉自身遠征先の毛利に信長死去を隠し生きていると見せかけ籠城を解き性急な和睦に成功させている。
信長が生きている限り秀吉の勢力はリミテッドなのだ。
賢く戦略家の光秀はそう計算して信長の遺体回収の事実を封印したのではないだろうか?
その事実を隠したまま光秀は山崎の戦で討ち死にする・・・・・
だからその信長の遺体回収の事実は闇に消え歴史上無かった事にされているのだ。
本能寺の変・・・その事実は後世に伝わった事柄とは違うのだ。
まだ誰もが唱えていない新説である。
信長の亡骸は光秀により回収され闇から闇に葬られた・・・
証拠隠滅で人知れず粉々に粉砕され廃棄されたのかも知れない。
生存説なんて無い・・・・・
信長の野望は本能寺にて潰えたのである確実に・・・・・・
by glass-jaw-hopper
| 2011-10-16 00:48
| その時歴史は動いたような気が
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