Yの子孫
中学時代の知り合いに何処とは書けないが近畿地区の山奥から転校して来たY君がいた。
何故彼を覚えていたかと言うとY君はその独特の関西弁みたいな方言と何と言っても日本人離れした体躯を持っていたのだ。
遠目でも判別できる彼は浅黒く痩せ形で身長が高く手足が長かった。
全身バネみたいな身体で実際運動神経が良かったのだ。
当時は新ルパン三世が放映されておりルパンに憧れていたいた俺はその長い手足がすごく羨ましかったのだ。
聞くと先祖代々その地に定住していた祖父母両親兄弟姉妹一家揃ってそんな感じらしい。
それどころかその山村には親戚を含め彼のような体躯の人がチラホラと多いそうな・・・
しかし何でまたそんな山奥の山村にそんな体型の人らが出現したのか不思議である。
実際は既に方々へ散って全国各地にバラけてはいるが、それでもお婆さんでも身長が高くシュッとした長い手足で農作業していたりするらしい。
妙にスタイルの良い住人ら・・・
物の本によると昭和の初期頃まで山間部では流通状況が悪く海の魚介類が届く事が困難で慢性のカルシウム不足であったと言う。
鯉や川魚で補い、比較的保存が利き腐りにくい鮫肉はワニ肉として重宝されたらしい。
つまり彼のような体躯の山間部住人一族は全国的に稀なのだ。
今では大手メーカーの大きい工場が出来ていろんな地から人が流入し国道沿いには大型チェーン店も出来て普通の町になってはいるが、彼の祖父母の代の時ぐらいまでは随分閉鎖的な村で原住民らは身を寄せ合うように固まって集落を形成していたそうな。
やっと世間と馴染むようになったのは高度成長期に出来た大型工場に勤める人が大量に各地から流入してきたからである。
いきなり切り開かれた彼の山村では最初、新しく入ってきた人々と元々代々住んでいた住民の間に確執があって学校でもはっきり別れていたらしいが当時は完全に流入組が大多数になり融合しているとの事だ。
Y君一家はたまたま父親の転勤に付いてきた形であったのだが、いずれはその地にまた一家揃って帰るつもりなんだと当然のように言っていた。
郷土愛が強いと言うのか若いのにやや閉鎖的と言うのか・・・
実際彼ら一家は父親の転勤期間が終わるとこちらで受験する事もなく、出身地の地区のみの受験し当然のようにその山村に帰って行った。
Y君もその優れた身体能力を発揮しようとはせずに部活とかで大きな活躍もしないまま消えるようにいなくなった。
それから何年か経って俺は大学生・・・
旅行の途中で安土城跡に寄った。
もちろん城は無い・・・夏の時期だったので蝉がワンワン鳴いていた。
その石段を一歩一歩歩く度に蒸し暑さで汗が出る。
夏場は人気薄なのか人気は無かった。
信長も秀吉も光秀も家康もこの石段を上がったんだなぁ〜と思うと感慨深い感情が湧き出た。
石壁の隙間からヒョロヒョロと棲みついている蛇が出てきたりして今はもう人が居なくなって久しい歴史を感じた。
何かの拍子にふと思った・・・
信長の家来に一人黒人が居た・・・・名は弥助・・・・・
イタリア人の宣教師から信長に譲り渡された数奇な運命のアフリカ人である。
現在のモザンビーク出身の黒人男性である。 身長は六尺二寸(約187cm)。
『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」と記述されている。
天正9年2月23日(1581年4月6日)に、イタリア人の宣教師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが信長に謁見した際に引き連れてきた。
その場でその体色に興味を覚えた信長が家臣にした。
年齢は26~27歳、十人力の剛力、牛のように黒き身体と記述される。
天正10年4月19日(1582年5月21日)付けの『松平家忠日記』にも「名は弥助、身の丈六尺二寸、黒人男性、身は炭のごとく」と詳細に記述。
信長の武田征伐の完了に伴う帰国途上での出来事で、弥助も従軍していた。
本能寺の変で明智軍に捕縛されたが、光秀の命令により解放された。
以後の消息は一切不明である。
弥助は本能寺の変の後光秀に解放された後どこへ行ったのだろうか?
本能寺では信長の元奮闘してその体躯を活かし暴れたらしいが囚われの身・・・
よくぞ無事に解放されたものである。
しかし解放されたとしても彼の場合安心安泰だったわけではない。
当時の日本で187cmの黒人が目立たないわけはない。
当時の成人男性の身長は140cm~150cm台である。
時は流れて300年経ち幕末の近代人に属する坂本龍馬の着物の丈から算出された172〜174cmでさえ見上げるような大男と記されているのだ。
弥助は本能寺から逃れ光秀秀吉が衝突するであろう山崎方面を避けて逆方向に逃れようとしたはずである。
日本の地理にも疎く逃げ場の無い弥助はとりあえず安土に向かったのではなかろうか?
しかし琵琶湖を挟んで見上げた安土城は既に陥落して真っ赤に燃えていたのではなかろうか?
もしくは廃墟となっていて必ずしも彼にとって戻れる安楽の地ではなくなっていたろう・・・
絶望的な光景に打ちひしがれた後弥助は進路を折り海の方向に南下したのではないだろうか。
彼にとって日本全てが危険な地で海の向こうがとりあえず安全なエリアなのだ。
ぐずぐずしている場合ではない。
ただでさえ目立つ彼である。
光秀だけが敵ではない。
彼の配下の足軽らからも狙われるだろうし落ち武者狩りだって横行している。
一度捕虜として捕まった後の解放・・・丸腰だったに違いない。
よしんば武器があったとしても多勢に無勢何の役にも立つまい。
そして海への進路の途中にある山間部の集落に命からがら逃げ込む・・・・・
いきなり集落に表れた初めて見る187cmの見上げるような黒人の大男に村は大パニックになったのだろう。
鬼とかに思われたのかも知れない。
でもここで彼の天賦の才能が発揮される。
「信長や息子達に愛され、よく彼らを肩車などをしている姿が目撃されている。 」
彼は村に受け入れられたのだ。
日本語も堪能だったらしいし、不思議と人に受け入れられる才能があった。
光秀亡き後、秀吉の目を逃れ彼は生き延びた。
秀吉にとって無害な存在であり目を皿のようにして探す必要も無いけど。
そして話はY君に戻るのだが、あまりに突飛な話であるが彼は弥助の末裔ではなかろうか?
17代の時を経て信長の面影を色濃く残す彼を見てますます確信した。
Y君の村は丁度その本能寺から海に向けての途中山間部に存在する。
まさかねぇ~・・・・・
でも、アフリカで平和に過ごしていたのにイタリア人らに連れて行かれ、多分無理やり改宗された後未開で野蛮な戦国時代の東国の端っこ日本に連れて行かれ、よりによって一番危険な信長に譲り渡された後家臣となり、あわや天下統一前に反旗を翻した光秀軍勢に捕らわれ処刑されたんじゃあまりに弥助が可哀想ではないか・・・・・
誰一人自分と同じ人種のいない土地で一人彷徨う心細さ・・・・・島国ゆえ逃げ場も無い・・・・・
その時代に黒人の遺体が発見された記録、渡航した記録も見当たらない。
すなわち国内で生き残ったのだ。
大雑把で大胆な話しだけど・・・
きっと弥助は隠れ里みたいな集落でひっそり平和にその数奇な人生の続きを過ごしたのだと思う。
もし許されるならY君らその村の人らのDNA鑑定をしてみたい。
もし彼らからアフリカ人のDNAが採取出来たのなら、それはイコール弥助が生き延びた証拠になるのだ。
何故彼を覚えていたかと言うとY君はその独特の関西弁みたいな方言と何と言っても日本人離れした体躯を持っていたのだ。
遠目でも判別できる彼は浅黒く痩せ形で身長が高く手足が長かった。
全身バネみたいな身体で実際運動神経が良かったのだ。
当時は新ルパン三世が放映されておりルパンに憧れていたいた俺はその長い手足がすごく羨ましかったのだ。
聞くと先祖代々その地に定住していた祖父母両親兄弟姉妹一家揃ってそんな感じらしい。
それどころかその山村には親戚を含め彼のような体躯の人がチラホラと多いそうな・・・
しかし何でまたそんな山奥の山村にそんな体型の人らが出現したのか不思議である。
実際は既に方々へ散って全国各地にバラけてはいるが、それでもお婆さんでも身長が高くシュッとした長い手足で農作業していたりするらしい。
妙にスタイルの良い住人ら・・・
物の本によると昭和の初期頃まで山間部では流通状況が悪く海の魚介類が届く事が困難で慢性のカルシウム不足であったと言う。
鯉や川魚で補い、比較的保存が利き腐りにくい鮫肉はワニ肉として重宝されたらしい。
つまり彼のような体躯の山間部住人一族は全国的に稀なのだ。
今では大手メーカーの大きい工場が出来ていろんな地から人が流入し国道沿いには大型チェーン店も出来て普通の町になってはいるが、彼の祖父母の代の時ぐらいまでは随分閉鎖的な村で原住民らは身を寄せ合うように固まって集落を形成していたそうな。
やっと世間と馴染むようになったのは高度成長期に出来た大型工場に勤める人が大量に各地から流入してきたからである。
いきなり切り開かれた彼の山村では最初、新しく入ってきた人々と元々代々住んでいた住民の間に確執があって学校でもはっきり別れていたらしいが当時は完全に流入組が大多数になり融合しているとの事だ。
Y君一家はたまたま父親の転勤に付いてきた形であったのだが、いずれはその地にまた一家揃って帰るつもりなんだと当然のように言っていた。
郷土愛が強いと言うのか若いのにやや閉鎖的と言うのか・・・
実際彼ら一家は父親の転勤期間が終わるとこちらで受験する事もなく、出身地の地区のみの受験し当然のようにその山村に帰って行った。
Y君もその優れた身体能力を発揮しようとはせずに部活とかで大きな活躍もしないまま消えるようにいなくなった。
それから何年か経って俺は大学生・・・
旅行の途中で安土城跡に寄った。
もちろん城は無い・・・夏の時期だったので蝉がワンワン鳴いていた。
その石段を一歩一歩歩く度に蒸し暑さで汗が出る。
夏場は人気薄なのか人気は無かった。
信長も秀吉も光秀も家康もこの石段を上がったんだなぁ〜と思うと感慨深い感情が湧き出た。
石壁の隙間からヒョロヒョロと棲みついている蛇が出てきたりして今はもう人が居なくなって久しい歴史を感じた。
何かの拍子にふと思った・・・
信長の家来に一人黒人が居た・・・・名は弥助・・・・・
イタリア人の宣教師から信長に譲り渡された数奇な運命のアフリカ人である。
現在のモザンビーク出身の黒人男性である。 身長は六尺二寸(約187cm)。
『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」と記述されている。
天正9年2月23日(1581年4月6日)に、イタリア人の宣教師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが信長に謁見した際に引き連れてきた。
その場でその体色に興味を覚えた信長が家臣にした。
年齢は26~27歳、十人力の剛力、牛のように黒き身体と記述される。
天正10年4月19日(1582年5月21日)付けの『松平家忠日記』にも「名は弥助、身の丈六尺二寸、黒人男性、身は炭のごとく」と詳細に記述。
信長の武田征伐の完了に伴う帰国途上での出来事で、弥助も従軍していた。
本能寺の変で明智軍に捕縛されたが、光秀の命令により解放された。
以後の消息は一切不明である。
弥助は本能寺の変の後光秀に解放された後どこへ行ったのだろうか?
本能寺では信長の元奮闘してその体躯を活かし暴れたらしいが囚われの身・・・
よくぞ無事に解放されたものである。
しかし解放されたとしても彼の場合安心安泰だったわけではない。
当時の日本で187cmの黒人が目立たないわけはない。
当時の成人男性の身長は140cm~150cm台である。
時は流れて300年経ち幕末の近代人に属する坂本龍馬の着物の丈から算出された172〜174cmでさえ見上げるような大男と記されているのだ。
弥助は本能寺から逃れ光秀秀吉が衝突するであろう山崎方面を避けて逆方向に逃れようとしたはずである。
日本の地理にも疎く逃げ場の無い弥助はとりあえず安土に向かったのではなかろうか?
しかし琵琶湖を挟んで見上げた安土城は既に陥落して真っ赤に燃えていたのではなかろうか?
もしくは廃墟となっていて必ずしも彼にとって戻れる安楽の地ではなくなっていたろう・・・
絶望的な光景に打ちひしがれた後弥助は進路を折り海の方向に南下したのではないだろうか。
彼にとって日本全てが危険な地で海の向こうがとりあえず安全なエリアなのだ。
ぐずぐずしている場合ではない。
ただでさえ目立つ彼である。
光秀だけが敵ではない。
彼の配下の足軽らからも狙われるだろうし落ち武者狩りだって横行している。
一度捕虜として捕まった後の解放・・・丸腰だったに違いない。
よしんば武器があったとしても多勢に無勢何の役にも立つまい。
そして海への進路の途中にある山間部の集落に命からがら逃げ込む・・・・・
いきなり集落に表れた初めて見る187cmの見上げるような黒人の大男に村は大パニックになったのだろう。
鬼とかに思われたのかも知れない。
でもここで彼の天賦の才能が発揮される。
「信長や息子達に愛され、よく彼らを肩車などをしている姿が目撃されている。 」
彼は村に受け入れられたのだ。
日本語も堪能だったらしいし、不思議と人に受け入れられる才能があった。
光秀亡き後、秀吉の目を逃れ彼は生き延びた。
秀吉にとって無害な存在であり目を皿のようにして探す必要も無いけど。
そして話はY君に戻るのだが、あまりに突飛な話であるが彼は弥助の末裔ではなかろうか?
17代の時を経て信長の面影を色濃く残す彼を見てますます確信した。
Y君の村は丁度その本能寺から海に向けての途中山間部に存在する。
まさかねぇ~・・・・・
でも、アフリカで平和に過ごしていたのにイタリア人らに連れて行かれ、多分無理やり改宗された後未開で野蛮な戦国時代の東国の端っこ日本に連れて行かれ、よりによって一番危険な信長に譲り渡された後家臣となり、あわや天下統一前に反旗を翻した光秀軍勢に捕らわれ処刑されたんじゃあまりに弥助が可哀想ではないか・・・・・
誰一人自分と同じ人種のいない土地で一人彷徨う心細さ・・・・・島国ゆえ逃げ場も無い・・・・・
その時代に黒人の遺体が発見された記録、渡航した記録も見当たらない。
すなわち国内で生き残ったのだ。
大雑把で大胆な話しだけど・・・
きっと弥助は隠れ里みたいな集落でひっそり平和にその数奇な人生の続きを過ごしたのだと思う。
もし許されるならY君らその村の人らのDNA鑑定をしてみたい。
もし彼らからアフリカ人のDNAが採取出来たのなら、それはイコール弥助が生き延びた証拠になるのだ。
by glass-jaw-hopper
| 2010-09-21 00:40
| その時歴史は動いたような気が
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